「水をタダと思っている」日本人
2024年05月31日
地球は水の惑星だ。地球の表面の7割は海で覆われ、命と社会の営みは、水なくしては成り立たない。
古の例を見ても、古代文明は大河の流域でおこり、縄文時代の日本列島では河川や水のほとりに集落が点在し、そこから歴史を育んできた。私たち日本人は、列島を囲む海から多くの恵みを得、山々の間をうねる大小の河川や湧き水で喉を潤し、水を生活や農業に利用してきた。
しかし、水資源、特に飲み水に関して、日本ほど恵まれている国は世界中を見渡してもそれほど多くない。水道水がそのまま飲める国は、アジアでは日本だけ、あとはヨーロッパの一部の国と、南アフリカだけだという。
そもそも、地球に存在する水の内、淡水は3%に限られる。さらにそのうち水資源として人間が利用できるのは1/3で、水全体の量の中の1 %程に過ぎない。そして、その1%の水資源の分布は偏在している。海は確かに生命の母だったが、命と社会の営みに必要な水資源は限られている。
「日本人は水と安全はタダと思っている」と指摘したのは、1970年に上梓された「日本人とユダヤ人」を執筆したイザヤ・ベンダサン氏(山本七平)だが、それは日本人がふだんの生活の中で身につけた肌感覚のようなもので、外国人の水に対する距離感とは異なるのだろう思う。国によっては、あるいは地域によっては、水を飲むためにはお金を払わなければならず、それもかなわなければ、荒野を何時間もかけて歩いて運ばなければならず、そして長い人類の歴史を紐解けば水は奪い取らなければならないものだった。