多摩川の水源林保全は持続可能な社会の嚆矢

2024年05月31日

多摩川は、奥多摩町にある小河内ダム(奥多摩湖)をさらに山奥に分け入って、山梨県と埼玉県の県境にある笠取山(かさとりやま)の山頂直下にある「水干」(みずひ)を源流とする。水干とは「沢の行き止まり」という意味だ。

多摩川水系の水道水源林は、奥多摩町を東端にして、山梨県の小菅村、丹波山村、甲州市にまたがり、その範囲は東西約31km、南北約20km、面積は約25,000haにおよび、多摩川上流域に広がる森林面積の約5割を占める。国内の水道事業体が管理する森林としては最大規模になるという。

この水源林に降った雨水が、保水力の高く良好な土壌に染み入り、地下水となって川へと流れ込む。その間にちりなどの汚れが取り除かれ、良質な水となるのだ。

林業が衰退して管理が行き届かなくなった結果、荒廃する森林が増えている。そのため最近では、水質浄化だけでなく、地球温暖化の緩和、生物多様性、土砂流出防止を目的に、森林の保全を図る動きが見られるようになっている。森林の保全は海も豊かにする。豊かな成分を含んだ川が海に注がれることで、栄養分が豊富な海になり、そこで採れる海産物の成長を促すのだ。持続可能な社会を作るための第一歩が山林、森林の保全だと言っても良いのかもしれない。

そうしたなかで、多摩川水系の水源林の保全の歴史は古い。東京都水道局によると、当時の東京府が保安林として管理を始めたのが1901年(明治34年)のこと。1909年(明治42年)には当時の東京市長だった尾崎行雄が荒廃した水源地を踏査し、水源林の経営を始めるに至っている。

明治時代に持続可能な社会という言葉はない。しかし東京の水源林の保全活動は、持続可能な社会に向けた取り組みの嚆矢だったと言っても良いのかもしれない。